basilsの日記

イノベーションについて考察するブログ。その他、アルバイト日誌、感想文、雑感など。

イノベーションとは結局何なのか?  -引き算的イノベーション観について-

 イノベーションの見方には、足し算的イノベーション観と引き算的イノベーション観があると思う。今回はそのうち、引き算的イノベーション観の分析をしてみる。(足し算的イノベーション観と引き算的イノベーション観については、http://basils.hatenablog.com/entry/2013/05/19/015925。)
 
 
 結論から言うと、「足し算的イノベーション」と「引き算的イノベーション」という2種類のイノベーション、あるいはイノベーション観があるのではない。そうではなく、足し算的過程と引き算的過程の両方が、イノベーションには必要なのだと思う。
 
 そう思ったのは、「粘土像のメタファー」http://basils.hatenablog.com/entry/2013/05/28/011312)の粘土像のメタファーや、「実証主義研究における概念形成のプロセス」(http://basils.hatenablog.com/entry/2013/05/31/015128)のHWPMという概念の形成という足し算的イノベーションの例の中にも、実は引き算的過程がみられるためだ。
 
 たとえば粘土像のメタファーの場合。実は、粘土像のメタファーのところでのべた「パーツ間の相互調整」が、この「引き算」の過程なのではないか。パーツ同士をくっつけてみて余分なところをそぎ落とす作業や、パーツ間のバランスを整える作業。足し算的イノベーションのもとでも不可欠な作業だが、これこそ「引き算」ではないか。
 
 そしてHWPMの概念形成過程の場合。「境界連結機能」を再解釈し、「外部統合」という概念を生み出したプロセスは、実は足し算的過程と引き算的過程の混淆物だったのではないか。なぜならこの過程は、境界連結機能という概念から余分な要素をそぎ落とし、「外部への積極的な働きかけ」などの新たな要素をつけ加える過程だと解釈できるためである。前者が引き算的過程、後者が足し算的過程である。
 
 このように、足し算的イノベーションと引き算的イノベーションの2種類のイノベーション、あるいはイノベーション観があるというわけではないのではないか。新しい概念が生みだされるときには、まずは既存の概念が適当に結びつけられる。すなわち、足し算的過程がある。そしてその後に、部品間の調整が生じるのだ。すなわち引き算的過程、あるいは概念精製とたとえてもいいかもしれない。
 
 ちょうど、ボディービルのプロセスに似ている。ボディービルでは、筋肉をつける前にまず太らせるという。余分な肉をたくさん蓄えさせてから、トレーニングで絞っていくらしい。太らせずにトレーニングをしても、効果が出ないようだ。同様に、概念もまずは太らせなくてはいけない。雑多な要素をたくさん切り貼りしなくてはいけない。そのあとで、余分なものをそぎ落とすのだ。逆ではうまくいかないらしい。
 
 同じようなことは、i.schoolでも教えられている。i.schoolとは最近始まった、東大のイノベーション教育プログラムである。ここで教えられる技術の1つは、「アイデアの要素をたくさん出してから、それらを組み合わせていき、かつ要素間のすり合わせをする」ということである。蝶ネクタイ型のプロセス。
 
 ではなぜ、「足し算的イノベーション」や「引き算的イノベーション」といった類型があるように見えてしまうのか?それは、足し算的イノベーションの引き算的な部分、引き算的イノベーションの足し算的な部分を無視してしまっているからではないか。前者についてはすでに説明した。では後者は?これはつまり、こういうことである。「引き算的イノベーション」が「引き算的」にしか見えないのは、実はその事前にある膨大な量の「足し算」が目に入っていないためだろう。つまり、引き算的イノベーション観は概念精製後の事後的なイメージに過ぎない。たしかに事後的には、シンプルで美しいために、「引き算」だけを行ってその概念が作られたように見える。しかし実際には、その背後に見えざる「足し算」があるのだと思う。
 
 しかしなぜ、足し算→引き算 という順番だとうまくいきやすいのか。あるいはそもそも、この順番での概念創造はどれほど普遍的な現象なのか。それは次回以降で考察する。