basilsの日記

イノベーションについて考察するブログ。その他、アルバイト日誌、感想文、雑感など。

イノベーションとは結局何なのか?  -粘土像のメタファー-

 イノベーションとは、新しい概念が生まれて広まることだと思う。そのステップについては、2つの見方があると思う。

 

 一つ目は足し算的イノベーション観で、「新しい概念は、概念を結合することによって生まれる」と考えるものだ。たとえばウォークマンは、「移動する時間」と「音楽を聴く行為」を結合することで生まれた、と見なせるだろう。

 

 二つ目は引き算的イノベーション観で、「新しい概念は、余計なものをそぎ落とすことによって生まれる」と考えるものだ。スティーブ・ジョブズの美学が、こちらに近いもののようだ。

 

 

 この2つの見方を、どうすれば統合できるだろうか?つまり、これら二つを両立させるようなイノベーションの見方はできないだろうか?イノベーションという一つの現象に、二通りの対立する見方があるのはおかしい。そこで、粘土像のメタファーを使ってこの問題を考えてみよう。

 

 粘土をこねあげて人間の像を作るとする。この時、2つのアプローチがありうる。第一が、手や胴体や脚などの各パーツを個別に作って、それらを寄せ集めて人間の形にするというアプローチである。第二が、大きな粘土の塊を用意して、それを削っていくことで人間の形にしていくというアプローチである。前者を寄せ集めアプローチ、後者を削り出しアプローチと呼ぶことにする。

 

 寄せ集めアプローチでは、各パーツをそれなりに仕上げてから結合させる。しかし、結合させれば即完成なのではない。たとえば腕のパーツの太さと、胴体パーツの腕との結合部分の太さが合っていないかもしれない。あるいは、胴体の長さと脚の長さのバランスがおかしいかもしれない。そうすると、各パーツを微調整しなくてはいけない。この気の遠くなるような微調整の繰り返しを経て、ようやく均整の取れた美しい像ができあがる。

 

 削り出しアプローチでは、また違った苦労がある。全体が1つの塊なので、一度に全体を見ながら仕上げていかなくてはいけない。まず頭を作って、ということは許されず、頭を少し作ったら次は胴体を少し、その次は脚を少し、というように作業しなくてはいけない。こうして各部分を少しづつ仕上げていって、全体を完成させる。

 

 寄せ集めアプローチも、削り出しアプローチも、目的は粘土像を作るということである。同じ目的に、違ったアプローチがありうるのだ。同じことが、新しい概念の誕生に関しても言えないだろうか。もうお分かりだとは思うが、寄せ集めアプローチが足し算的イノベーション観、削り出しアプローチが引き算的イノベーション観に対応している。「新しい概念が生まれる」という同じ一つの現象を理解するのに、異なるアプローチがあるということではないか。しかしアプローチが異なるからと言って、現象までが異なるわけではない。

 

 では、この異なるアプローチによって理解されるところの「同じ一つの現象」とは、結局どんなものなのか。それはいずれ。

 

続き→http://basils.hatenablog.com/entry/2013/05/31/015128