basilsの日記

イノベーションについて考察するブログ。その他、アルバイト日誌、感想文、雑感など。

愛の結晶化作用、概念の結晶化作用

 スタンダールがその恋愛論において、結晶化作用という現象について述べている。愛には結晶化作用がある。
 
ザルツブルグの塩坑で寒さのために落葉した1本の小枝を廃坑の奥に投げ込んでやる。2,3ヶ月もして取出してみると、それは輝かしい結晶で覆われている。一番小さな枝、せいぜい山雀の足くらいの枝までが、まばゆいばかりに揺れて閃く無数のダイヤモンドで飾られているのだ。もとの小枝はもう認められない。私が結晶化作用と呼ぶものは、目に触れ耳に触れる一切のものから、愛する相手が新しい美点をもつことを発見する心の働きである。
 
 さて、同じような働きが、新しいく産み出された概念にもあるのではないか。すなわち概念の結晶化作用である。
 
 たとえば伊丹敬之『創造的論文の書き方』に、概念の結晶化作用の鮮やかな例が見られる。
 
「D ハーシュマンの本を読んでびっくりしたのは、一つは、概念によって見通しがつくというのを実感させてくれる本だということです。(中略)学生たちが一言言いました。『すごくシンプルに、この二つの概念(退出と告発)でいろいろなことが切れ始めますね』と。彼らの頭の中で見通しが良くなっているみたいなのです。
 
伊丹 なるほど。
 
D はい。私は学生に、その実感がまさに社会科学をやる面白さだから、しばらくこの二つの概念を持っていろいろな所、自分が見る現象を切ってみて、どこまで切れるかやってみたら、ということを言ったのです。そういう実感が、学部生でも理解できるというのは、ハーシュマンの理論自体がかなりシンプルな構造である一方で、いろいろな適用を工夫するとじつに多様な現実が説明できていくからだと思います。あれがまさに論理、概念のすごさだと思いました。」
 
 「退出」と「告発」という概念を導入したことで起こったのは、一体どんな現象だったのだろうか。
 
 それまでも、後に「退出」と「告発」という概念で説明されることになる現実は、物理的な意味ではたしかに存在していたはずである。しかし、人々の目にそれは見えていなかった。何らかの意義を持つ抽象物の一具体例としては認識されていなかった。それは単に、「消費者がある企業の製品を買わなくなる」という現象だったかもしれないし、「消費者がある企業に損害賠償を要求する」という現象だったかもしれない。
 
 しかし、これでは現実がよく分からない。この現象は他の現象と似ている。何かもっと、納得のいく説明はないか。
 
 そこで、「退出」と「告発」という概念が導入される。
 
 すると興味深いことに、今度はそれが言語体系の他の部分にも逆照射される。そして「退出」「告発」の様々な関連概念・下位概念・測定指標・対立概念などを引き寄せ、また作り出していく。
 
 それにとどまらない。引用文中にもある通り、人はこれらの概念で色々な現実を「切り」始める。「ああ、これもそういえば『退出』だ」というように。このとき、様々な雑多な現象が、1つの概念の周りに集まり、相互に関連しあい、整然とした統一体をなす。あたかも、1本の小枝をまばゆい塩の結晶が覆うように。塩水は確かにそこにあったのだ。しかし、結晶の核が投入されるまでは、塩は析出しない。これが概念の結晶化作用である。そして、この結晶化が迅速かつ広範囲にわたって生じるとき、概念の切れ味が鋭いと言われるのではないか。ひとたび切れ味の鋭い概念が投入されると、様々な現象を一気に理解できる。視界がぱっと開ける。人々は、「そう、まさにそれだよ、それが言いたかったんだよ」と叫ぶ。
 
 概念の結晶化には、さらに重要な作用がある。ひとたび概念の結晶化作用が生じると、その起源は忘れられる。新しい概念は、あたかも太古の昔からそこにあったもののように思われる。概念の起源が忘れられ、自然物と等価になった時、概念による結晶化作用ははじめて完了する。
 
 とはいうものの、これでは「結晶化の核はそもそもどう投入されるのか」という疑問にはまだ応えられていない。それは次回で。