basilsの日記

イノベーションについて考察するブログ。その他、アルバイト日誌、感想文、雑感など。

概念の交換過程としてのモノの売買

 モノを売買するというのは、ある概念と別の概念の交換過程である、と考えることもできるのではないか。「概念」といって悪ければ、概念が体化された物体だ。貨幣も概念である。というのは、貨幣が貨幣である所以は、人がそれを貨幣だと信じているためである。
 
 ふつうモノの売買というと、実態を持った物体の交換をイメージする。金貨と衣服の交換などが、その最たる例である。
 
 しかし、ここで同時に生じている現象は、物体に体化した概念を交換しているということではないか。
 
 物体として形をもつ(食糧、洋服など)というのがが原則的な商品のあり方で、物体としての形を持たない商品(音楽コンテンツ、インターネットへの接続能力など)が例外、というのは、かつての現実に制約された物の見方ではないだろうか。これとは逆に、概念・情報の交換過程こそが原則的な現象で、それがたまたま物体に体化されているのが食料や洋服などのかつて主な商品と見なされてきたもの、すなわち例外だ、と見ることもできるだろう。
 
 どちらが原則でどちらが例外かは、社会で現実に取引されている主流の商品が何であるかに左右される。しかし現代の商取引のうち、金額ベースでみると9割が金融経済で、実体経済は残り1割を占めるに過ぎないと言われる。さらにその実体経済でも、ブランド価値やイメージ、記号的価値などの概念的性質の重要性は日に日に増しており、これらが重視される商品の種類も増えている。たとえば家電製品では、かつては純粋な製品性能が、商品選択の際には特に重視された。しかし現在では、企業のブランドによる安心感やファッション、その商品を日々使うことで自分の生活がどう変わるのかというイメージが、製品性能そのものと同程度に重視される。
 
 金融経済は、物質的実体を伴わない情報・概念交換過程の最も純粋な形式である。その金融経済が9割の取引を占めており、残り1割の実体経済でも情報的・概念的性質の重要性が日に日に高まっている。これが現代の商取引のあり方であるなら、概念の交換過程を原則的な現象と見なしたほうが、現実をより良く理解できるのではないだろうか。