basilsの日記

イノベーションについて考察するブログ。その他、アルバイト日誌、感想文、雑感など。

イノベーションとは結局何なのか? -”概念”というものをコンピュータ上で扱うにはどうすればよいか?-

 イノベーションとは、「新しい概念の創造と概念の結合」だと思う。じゃあこれで話は終わりかというと、そんなことはない。「新しさ」「創造」「概念」「結合」とは何か、という肝心な問いにはまだ答えられていない。そこでそれを考察してみたい。
 

 

 そもそも「概念」とは何か?それを考えるために、少し寄り道をする。「概念」をコンピュータでもあつかえる形でモデル化するには、どうすればよいかを考えてみた。そこで考えたのが、「タブラ・ラサ」的モデルである。
 
 ソシュールを祖とする構造主義的な言語論に従うならば、概念は「モノに貼られたラベル」ではない。そうではなくて、最初は未分化な世界を、概念が分割していくのだ。だからこそ、民族によって虹を何色と認識するかが異なったり、フランス語では「パピヨン」と総称される生物が日本語では「蝶」と「蛾」に分かれたりするのだ。
 
 この言語観をそのままモデル化してみる。
 
 たとえば、二次元の真っ白な平面をイメージする。そこに数本の線を引いて、平面をいくつかの排他的な領域に分割する。単純化のため、線はx軸かy軸のいずれかと平行とする。その領域の一つ一つが、ひとつの概念であるという仕組みはどうか?世界は最初は分割されておらず、「線引き」つまり概念と概念が区別されることによって分割が進む。その結果、元々「犬」だったあるマスは、「ラブラドールレトリバー」と「それ以外の犬」に分割される。こうして、世界をとらえる概念の「網目」は限りなく細分化されていく。
 
 すると、認識というものは、平面内のある1点という「現実」を知覚したとき、それがどの「概念領域」に属するかで決まる、と置き換えられる。まず、平面にたくさんの点が落ちてくる様子をイメージする。それぞれの点は、ある1つの「マス」に落下する。そのマスが「犬」という概念に対応するマスならば、この平面は「犬」を認識したことになる。
 
 平面では単純すぎるなら、多次元を考えればよい。
 
 こうしたとき、概念の操作法(演繹・帰納アブダクション・類推  etc...)はどんなものに置き換えられるか?たとえば「連想」という働きは、ある概念領域から別の概念領域へのジャンプに置き換えられそうだ。また人間の認識のあり方の変化は、概念領域による分割の仕方の変更だと思う。概念領域間にはジャンプ・結合など複雑な網目が張り巡らされている―ワープの網目が張り巡らされた迷路のように。
 
 今度は、概念の操作法をモデル化するにはどうすればいいかを考えてみたい。