イノベーションに固有の自己運動の論理は何だろうか?
イノベーションが新しい概念の生成と普及だとするなら、概念の生成と普及のプロセス、および概念が製品やサービスとして実体化するプロセスを分析する必要があるだろう。
これらのプロセスを考察するうえでカギになるのは、概念の価値とは何か、ということだと思う。製品の価値がそこに転写された情報から生じるのであれば、この情報・概念の価値が何であり、どこから生じるのかを考える必要があるだろう。
しかしイノベーションは社会に関わる営みだ。そのため、解釈や自己反省、人間同士の相互作用が生じる。こうした特性をイノベーションが持つ以上、その論理はテクノロジーと同様の論理を含みつつも、それとは異なったものにならざるを得ない。
では、人間同士の相互作用としてのイノベーションは、どんな論理にしたがって運動するのだろうか。
まず混沌があり、その整理、完成、そしてコピーの連鎖による劣化。新しい概念が生まれて普及するとき、おおよそこのような過程を辿る。完成されたあとの概念をコピーしているだけでは、劣化が生じる。完成はその時点での矛盾、居心地の悪さを解消するために生じるプロセスだ。いったん完成された後では当初の問題意識から遊離し、制度となって独り歩きを始める。
概念が普及することと完成することは表裏一体で、それがイノベーションの目指すところでもある。しかしこの目標を達成することが、概念の劣化の第一歩である。完成が劣化を招くのだ。
概念は普及にともない劣化するが、同時に変容もする。当初の問題意識や意図からの遊離によって、当初想像されなかった解釈や意味が生じる。
続きはまた後日考えようと思う。