basilsの日記

イノベーションについて考察するブログ。その他、アルバイト日誌、感想文、雑感など。

イノベーションとは結局何なのか?

  大学の授業で、イノベーション論に関する様々な文献を読むようになった。それで思ったことがある。今のイノベーション論では、肝心の「イノベーションとは何か?」に関する本質的定義がされていないのではなかろうか?
 
 たとえば 一橋大学編『イノベーション・マネジメント入門』では、「イノベーションは経済成果をもたらす革新である」と定義されている。しかし、これでは定義になっていない。修飾語をとってしまえば、「イノベーションは革新である」と言っているに過ぎない。それではただの同語反復(トートロジー)だ。
 
 あるいは、シュンペーターによる「イノベーションとは物や力を従来とは異なるかたちで結合させること、つまり新結合である」という定義がある。しかしこれも曖昧である。「従来と異なる」及び「結合」という概念がよく分からないことが原因だろう。シュンペーターはこの定義に続き、イノベーションを5つに分類した。それは、
 
①新しい商品・賞品の新しい品質の開発
②未知の生産方法の開発
③従来参加していなかった市場の開拓
④原料ないし半製品の新しい供給源の獲得
⑤新しい組織の実現
 
である(シュンペーター 『経済発展の理論』 岩波書店 より)。しかし、これらはイノベーションの分類ではあっても、イノベーションの本質的な定義とはいえない。
 
 さらにまた、アメリカのイノベーション研究者であるアバナシーとクラークは、イノベーションを4つに類型化している。彼らは、イノベーションが技術面で保守的か破壊的か・市場面で保守的か破壊的かという2軸を用いた。その結果、イノベーションを次の4つに類型化した(Abernathy & Clark (1985))。
 
アーキテクチャ変革型:市場面でも技術面でも破壊的
②革命型:市場面では保守的、技術面では破壊的
③ニッチ創造型:市場面では破壊的、技術面では保守的
④通常型:市場面でも技術面でも保守的
 
 これによりイノベーションの理解が深まり、技術革新にとどまりがちだったイノベーション認識が改められたとされる。しかしこの類型論は、「イノベーションはどのような特性をもつ現象か」という問いには答えられても、「イノベーションの本質は何か」という問いには答えられない。
 
 以上挙げた、シュンペーターの定義と分類・アバナシー&クラークによる類型論は、イノベーションについて論じる際に必ずと言っていいほど参照される。しかしこれらが「本質的定義」になっていないのは、つまるところ「新しさ」が「生まれる」とはどういうことかが掘り下げられていないからである。このような定義でもそれほど困ってこなかったのは、社会科学の論証方式のためだろう。
 
 社会科学で概念を厳密に定義することが必要なのは、それを学問的に観察・測定可能にするためである。たとえば統計分析で、「イノベーションが生じているか否か」について分析するとしよう。ほんとうにいい加減な例だが。その場合、必要なのは「イノベーションが生じているか否か」を客観的に判定するための基準である。そこで、「イノベーションとは○○な現象である」と定義し、「○○が生じている度合」を測定するのである。ケーススタディーの場合も同様である。必要なのは、「どんな現象をイノベーションと見なすのか」に関する基準である。ある定義から帰結する現象の観察方法・測定方法が妥当かどうかは、研究者たちの合意によって決まる。ありていに言えば多数決だ。つまり、「定義が妥当な観察・測定を可能にするか」と「定義が現象の本質をとらえているか」は、全く別問題なのである。
 
 では現象の本質をとらえた定義とは何か?それをイメージしていただくために、少し突飛な比喩を使ってみる。
 
 あなたに好きな女性がいるとする。彼女の身長・体重・目の色・髪型・体型・職業・性格というプロフィールをいくら羅列しても、彼女が好きな理由、彼女でなくてはならない理由を説明したことにはならない。それでは彼女の本質を理解したとはいえないだろう。しかしそれと同じことが、イノベーション論ではまかり通っている。それが上述のトートロジー(彼女を好きなのは、私が彼女を愛しているからだ)や、分類・類型論である。
 
 あるいは別の比喩。ニュートンの万有引力の法則というものがある。これによって、木からリンゴが落ちる運動と、月が地球の周りをまわる運動が本質的には同じものだということが示された。この法則は、本稿でいうところの「現象の本質」をとらえていると思う。なんというか、「なるほど!」という「アハ!」感があるのである。
 
 ではイノベーションの本質的な定義とは何か?それは、「新しい概念の創造と、概念の結合」だと思う。そう、結局この定義でも「新しさ」「創造」「概念」「結合」とは何か、という肝心な問いには答えられていない。なんだかオチをつけ損なった感があるが、これらのさらなる問いについては明日以降考察していきたいと思う。