basilsの日記

イノベーションについて考察するブログ。その他、アルバイト日誌、感想文、雑感など。

自己成就的予言はどこにでもある -就活・マーケティング・貨幣-

 長谷正人『悪循環の現象学 「行為の意図せざる結果」をめぐって』という本を読みながら、自己成就的予言について考えてみた。
 
 この自己成就的予言という現象は、思ったよりも広く見られるようだ。もしかすると、「就活の激化」や「マーケティングによる流行」も、自己成就的予言の実現という構造を持っているかもしれない。
 
 というより、経済全体が「貨幣」という自己成就的な基盤の上に成り立っているからこそ、自己成就的予言がありふれたものになっているのかもしれない。
 
 
 自己成就的予言とは、「最初の誤った状況の規定が新しい行動を呼び起こし、その行動が当初の誤った考えを真実なものとする」ような社会現象のことだ。この本ではその例として、銀行の取り付け騒ぎが挙げられている。
 
「銀行の経営は安定しているにもかかわらず、何かのきっかけで人々の間に『その銀行は倒産しそうである』という出鱈目な噂(予言)が広がったとしよう。これを信じた人々は、銀行に預金を引き落とすために殺到することになる。すると、人々の引き出し額が銀行の支払準備金を越えて、銀行は倒産してしまう。」
 
 このように、予言をすること自体がその予言の内容を現実化させる、という自己言及的な構造を持った予言のことを、自己成就的予言という。ふつう予言(あるいは予測)と言えば、
 
現時点において、将来に何かしらの現象が起こる兆候がある
その兆候をもとに、将来についての予言をする
実際に予言された現象が起こる
 
という直線的な因果関係を思い浮かべるだろう。しかし、自己成就的予言ではこの因果関係は逆転している。すなわち、
 
何らかの理由で予言がされる
その予言が流布することで、何らかの行動を引き起こす
予言によって引き起こされた行動によって、予言の内容が現実のものとなる
 
という因果関係が、自己成就的予言の構造なのだ。
 
 
 そしてこの自己成就的予言は、かなりありふれた現象かもしれない。たとえば、「就活が激化している」という現象を考えてみよう。
 
 就活が激化しているのは、「就活が激化してますよ」という客観的な言明がなされること自体のせいかもしれない。これによって就活生たちは「そんなに大変なら、もっと準備してたくさん応募しないと」と危機感をかきたてられる。するとそのこと自体が、就活を激化させるのだ。
 
 このように、客観的な言明をすること事態が競争を激化させるというのは、まさに自己成就的予言だ。
 
 あるいは、マーケティングによる流行、というのも自己成就的予言かもしれない。
 
 「○○が流行していますよ」という客観的なフレーズを、広告代理店がゴリ押しする。すると、消費者は「○○が流行しているなら、私もみんなと同じように買わないと」と考えて○○を買う。するとその行動自体によってたくさんの人が○○を買い、○○が流行する。
 
 もちろん就活の激化やマーケティングの全てが、自己成就的予言で説明できるわけはない。しかし、そうした機制が部分的に機能していることは事実だと思う。
 
 自己成就的予言の面白いところは、当初の予言自体に何の根拠もなくても構わないということだ。というより、予言がされること自体が予言の根拠になっているから、他の根拠が無くても構わないのだ。
 
 そしてこの無根拠性、自己言及性は、資本主義経済の根幹をなす貨幣についてもそっくりそのまま当てはまる。
 
 貨幣は、みんながそれを貨幣だと思っているから貨幣たりえている。もしも1万円札に1万円の価値があるとみんなが思わなくなれば、それはもはや1万円札として機能しない。差し出しても受け取ってもらえないのだから。
 
 「貨幣は、みんながそれを貨幣だと思っているから貨幣たりえる」というのは、自己成就的予言だ。「こういう模様をした紙は貨幣ですよ」という「予言」がされる。その予言を皆が信じて、「この紙」を貨幣として扱うようになる。そしてまさにそのことによって、「この紙は貨幣だ」という当初の予言が実現する。別に「この紙」に特別な価値があって、「この紙」が貨幣になっているわけではない。根拠は無い。
 
 経済活動の根幹をなす貨幣が、自己成就的予言によって成立していること。このことが、さまざまな経済活動に自己成就的予言の構造が見え隠れする、最大の根拠なのかもしれない。