basilsの日記

イノベーションについて考察するブログ。その他、アルバイト日誌、感想文、雑感など。

「原因-結果」というモノの見方の妥当性について -「ロック・イン」という相互強化現象ー

 複数の現象間の相互作用を、どう分析すればよいか、について考えてみた。社会はこうした作用に満ち満ちている。このような作用しか無いといってもよい。これを分析する際には、おなじみの2現象間の「原因-結果」というものの見方を放棄したほうがいいのではないか。
 
 
 たとえば、デファクトスタンダードの決定という問題を考えてみる。パソコンなどの通常のキーボードの配置は、QWERTY方式というものだ。アルファベット部分の左上の配列から名付けられた。このキーボード配置は、打ちやすさを考慮したものではない。逆に、わざと打ちにくい配置にしてある。この配列が定められたのは、タイプライターが普及しだした時代である。当時のタイプライターは一つ一つの文字がアームの先端に刻み込まれており、このアームがカーボン紙を叩くことで印字するという方式だった。すると、タイプが速すぎた場合、アーム同士が絡まって作動不良を起こしてしまう。そこで、わざとタイプスピードを落とすために、打ちにくいキー配列が採用されたのだ。
 
 

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 さて、このキー配列を確立したのは、1874年のショールズらのタイプライターである。それ以来、この配列はデファクトスタンダードとなった。そして、タイプライターからパソコンへと時代が変わっても、この配列は生き延びたのだ。なぜか。それは、ネットワーク外部性の効果が生じたためである。ひとたびある程度の数のタイプライターにQWERTY方式が採用されると、それに基づくタイプ技能を習得したタイピストがある程度の数生じる。彼らは、QWERTY方式でないキー配列のタイプライターを使いたがらない。技能の再習得が面倒なためだ。
 
 ここに、スイッチングコスト、つまり別の規格に移行する際のコストが生じる。こうしたタイピストが群生してくるのを見たタイプライター製造業者たちは、こぞってQWERTY方式を採用するだろう。そのほうがこれに慣れたタイピストたちに採用してもらいやすい。こうして、世にQWERTY方式のタイプライターが普及していく。するとこれが、QWERTY方式になじんだタイピストをさらに増殖させる。これを見たタイプライター製造業者たちは・・・ この相互強化関係はどこまでも続き、ついには世の中すべてのタイプライターがQWERTY方式になってしまった。
 
 ではこの時、何が原因で何が結果だろうか。たしかに、事の発端はQWERTY方式をはじめて採用したタイプライターである。しかし、その後はQWERTY方式のタイプライターとそれになじんだタイピストたちという2つの要因が、お互いにお互いを引き起こしあっている。お互いがお互いの原因であり、結果なのだ。ブライアン・アーサーは『テクノロジーとイノベーション』の中で、こうした現象を「ロック・イン」と呼んだ。このロック・インという現象を考察する際には、何が原因で何が結果か、というような見方を放棄したほうが良いのではないか。そのような見方は、誤りではないかもしれないが、「ロック・イン」という現象を十全にはとらえ得ていない。
 
 むろん、因果関係が全く生じていないというわけではない。「ロック・イン」にも因果関係は当然ある。しかしそれを、一方向的な「原因→結果」が逆向きに二つ重なり合ったものと捉えない方が「ロック・イン」という現象の本質をつかまえられるのではないか、ということだ。
 
 ロック・イン同様、原因-結果という見方ではとらえきれない現象がもう一つある。3つ以上の現象間の相互作用だ。なぜそう思ったのか。少し回り道をするが、力学系における多体問題について論じたい。明日に続く。