basilsの日記

イノベーションについて考察するブログ。その他、アルバイト日誌、感想文、雑感など。

最先端の学問、あるいは孤島の僻村としての経営学

 
 
 誤解を受けそうなタイトルである。結論を一言でいうと、「経営学は時代の最先端にいる、もっとも進歩した学問である。」こんな逆説的な暴論がどう導かれたのかを、書きたいと思う。
 
 多くの人にとって経営学とは胡散臭いビジネス書と紙一重のもので、学問としての完成度は低く、かといって実務にすぐ役立つわけでもない。どっちつかずなのである。実際、その見方は的外れではない。
 
  20世紀の社会科学は、自然科学を範として発展してきた。学問には歴とした序列があり、科学の女王は自然科学、自然科学の女王は物理学だったのである。物理学は、その普遍性・合理性・客観性・体系性から模範的な学問とされていた。社会科学は、この科学カーストの最下層でもがいているのだ。そして、社会科学の中にも、さらに序列がある。その最上位に来るのは経済学、最下位に来るのが経営学である。つまり、普遍性・合理性・客観性・体系性を尺度にしたとき、経営学は最も「劣っている」学問だと見なされてきた。実際、経営学に「これさえ読めば基礎は完璧!」と言える定番教科書は存在しない。
 
 経営学が学問として優れていようが劣っていようが、実務に使えればかまわない、そう開き直ることもできる。しかし困ったことに、経営学は直ちに実務に役立つものではない。帯に短し、たすきに長し。日本を代表するマーケティング学者の石井淳蔵は、次のように書いている。
 
  「経営学者も、『実際の経営に役に立ちたい』という気持ちはある。だが、ここのところであえて言わせてもらえば、私を含めて多くの学者は、自分の所説が経営の実務に直接的にすぐに役に立つとは思ってはいないというのが正直なところである。良きにつけ悪しきにつけ、学者のクライアントは実務家ではなく学者なのである。クライアントが実務家だという人は、コンサルタントであって学者ではない。」(『ビジネス・インサイト―創造の知とは何か』岩波新書、p8)
 
 「学者のクライアントは学者」というのは、学者は学会に対して所説の当否を問うのであって、「素人」に対してではない、ということである。経営学の第一人者にして、この結論である。実際、「経営学おもしろそう!」といって他学部から聴講に来る学生の大半は、「こんなことやって何の役に立つんだ?」という憤懣を抱えて帰っていくのである。
 
 
 
 かくして経営学は実務の立場からも、他の学問分野の立場からも、軽んじられてきた。しかしそれは皮肉にも、いいことなのではないかと思う。経営学は、他の既存の学問分野から見ると体系性を欠く、論理性を欠くなど多くの欠点を持つように見える。しかし、経営学がそれらの「欠点」を改めて自然科学に接近しなければならない、というのは前時代的だと思う。逆に、経営学は経営現象を分析するのに適した手法を開発すべきである。それが他の学問分野にも広がることで、自然科学以外の分野が近代科学を範とすることに起因する様々な問題を克服できるのではないか。
 
 誤解を恐れずに言うならば、経営学は時代の最先端にいるのである。最先端というのは、近代科学の枠内での新しさ―ITやバイオテクノロジーのような技術的な新規性―を指すのではない。むしろ、近代科学の方法論では扱いにくい経営現象を分析する学問であるからこそ、近代科学の方法論やそれが前提とするドグマの限界が露呈しやすく、その意味で近代科学に疑問が投げかけられるようになった時代の寵児であり、時代の「最先端」にいるのではないか。
 
 そして、実務と密接に関わっている、関わらざるを得ないという事情が、この「限界の露呈」に輪をかけているのではないか?今の経営学が実務家に役立っているとは言い難く、その事が、経営学の限界をより明確に露呈させている。今まではそれは経営学の欠陥でしかなかったが、限界が明確になることで他の方法論を必死で模索するようになるため、かえって経営学にとって好ましいことかもしれない。
 
 
 経営学と他の正統的な学問分野の関係は、首都と孤島の僻村の関係に似ている。孤島の僻村は、首都に対して引け目を感じていた。首都の奢侈や洗練にははるかに及ばず、首都の財貨は何ヵ月も遅れて持ち込まれる。必死で首都に追いつこうとしたが、叶わなかった。しかしある時、首都とは逆方向に船で漕ぎ出した青年がいた。彼は首都に追いつけ追い越せするのではなく、首都とは異なった、その村に適した発展の仕方があるのではないかと考えていた。彼は長い航海の末、未知の大陸を見つけた。その大陸は未開だったが、目眩くほどの可能性を持っていた。気候は温暖湿潤、地味は豊かで、多くの鉱物資源を蔵していた。それからというもの、孤島の僻村は未知の大陸を開発することに精を出し、首都も驚くほどの発展を遂げた。願わくば経営学も、この孤島の僻村のようにあってほしいものである。