basilsの日記

イノベーションについて考察するブログ。その他、アルバイト日誌、感想文、雑感など。

「新しさ」が内包する矛盾について

私たちが何かを「新しい」というとき、それは何を意味しているのだろうか。新しいとは、何に対して新しいのだろうか。
 
 まず、この世に一度も存在したことのないもの、という意味ではないことは確かだ。私たちにそれを確認するすべはないし、仮にそれがあったとしても、私たちはそんな意味で「新しい」という言葉をつかってはいない。
 たとえばビジネス書の世界では、「画期的な理論」が毎年発明されて、私たちもそれを新しいものだと思う。しかし、ではこの理論が本当にこの世に一度も存在したことのないものかというと、そんなことはない。「画期的理論」の多くは既存の理論の焼き直しだ。
 
 それは本当に新しくないものなのだ、と言われれば反論はできない。しかし、現にこうした理論は新しいとされているし、私たちもそれを新しいと思う。だとすればその理論は、私たちにとっては新しいのである。
 
 このように、私たちにとっての新しさとは、「私の記憶」という閉じたシステムにとっての新しさなのだ。それでは、私の記憶は、どのようにして新しいものを生み出すのだろうか。
 
 新しさが「私の記憶」にとっての新しさであるなら、それは今までの「私の記憶」の中にはなかったはずのものである。しかし、私の記憶が新しいものを生んでいるからには、それは私の記憶から生み出されたはずのものだ。つまり、私の記憶の中にすでに存在していたということになる。
 
 新しいものは、私の記憶の中に無かったものでありながら、私の記憶にすでに存在している物である。このことを、どう理解すればいいのだろうか。
 
 同じことは、対象を個人から社会に拡大しても言える。新しいものは、社会にそれまで無かったものでありながら、社会にすでに存在している物である。そうでなければ、社会から新しいものが生まれることはできない。