basilsの日記

イノベーションについて考察するブログ。その他、アルバイト日誌、感想文、雑感など。

イノベーションとは結局何なのか?  -イノベーションは生命現象-

 今日の授業に、生気論についてのレクチャーがあった。そこで他の学生と先生のやり取りをきいていて、ふと思いついたことがある。組織行動や製品開発過程を、生命のアナロジーで分析できるのではないか?平たく言えば、組織は生命体で、組織行動は生命活動だ。そして、イノベーションは組織行動という生命活動の産物だ。
 
 生命体である組織を分析するには、機械論を前提とする分析方法とは異なる方法がふさわしいのではないか?いくら人間を解剖しても、あるいは人間の活動を分子の相互作用に還元しても、人間が生命である所以は分からないだろう。
 
 では組織が生命体とはどういうことか?それは、組織の構造が生命にとってのハードウェア(物理的な実体)で、組織内コミュニケーションが生命にとってのソフトウェア(感情や認識などの活動)だ、ということだ。(池上高志の生命=サンドウィッチ論については、以前のエントリhttp://basils.hatenablog.com/entry/2013/05/26/011101を参照してください。)
 
 そんなことをどうして考えたのか、それを順を追って話す。
 
 ある学生が、先生に質問した。彼女いわく、「近年の建築では、ただ単に建物の構造を設計すればよいというものではない。建物での人の交流や、コミュニティのあり方にまで気を配らないといけない。この物理的な構造と、形而上的な機能との関係は、生物の物理的な身体と、物理学では説明できない生物を生物たらしめている性質との関係に似ているのではないか?」
 
 先生はその見方に賛成したあと、一つの例をひいた。ある建築家がつくった病院(大学病院だったかもしれない)では、医者の普段の執務室と手術室の間が長い廊下で結ばれている。不必要な長さである。物理的な機能だけを考慮するなら、両部屋が隣り合っているほうがいいに決まっている。
 
 しかし、この長い廊下にはちゃんと意味がある。手術に臨むとき、医者は廊下を歩く。歩く間に、パソコンに向かって作業をしている自分から、メスを持って手術をする自分への切り替えをする。この切り替えに時間がかかるからこそ、そして切り替えのためには変化プロセスのメタファーとしての歩行が必要だからこそ、長い廊下がいるのだ。このとき、長い廊下は単なる建築構造物にとどまっていない。まず、長い廊下には切り替えの時間を稼ぐという機能がある。さらに、歩くことによる空間的変化と時間的変化を、心理的な変化と重ね合わせるというメタファーを生じさせている。長い廊下の物理的構造は、その機能と結びつきつつも、実体としては別々に存在している。
 
 それをきいて、建物の構造と建物の機能(物理的な機能だけでなく、心理的・メタファー的な機能も含む)の関係は、組織の構造と組織内の機能と同じなのではないか、とひらめいた。
 
 そして、この2組の関係は、つまるところ生命のサンドウィッチ論におけるハードウェアとソフトウェアの関係と等価なのではないか?
 
 組織の場合で言えば、ハードウェア・ソフトウェアという概念は、組織論における組織構造・組織内コミュニケーションの概念や、製品開発論における伝達媒体・設計情報という概念、と等価なのではないか?
 
 だとすれば、生命論における概念や手法や理論を、組織論や製品開発論に転用できるのではないだろうか?
 
 そしてこのことは、イノベーションを組織の「生命活動」の産物として分析できるかもしれない、という可能性を示唆している。
 
では、生命と組織の対応関係は、もっと精密に見るとどうなっているのか?それは次回以降分析しよう。