basilsの日記

イノベーションについて考察するブログ。その他、アルバイト日誌、感想文、雑感など。

高校の友人と、ものを作ることにした ~ものづくりの原体験としての彼女との大ゲンカ~

高校の友人と、ものを作って売ることにした。前回(http://basils.hatenablog.com/entry/2014/01/17/012334)は「軍師」的にアドバイスをいただく方に会いに行ったことと、その後の2人の相談で原点を改めて確認したことについて書いた。
 
それを受けて今回は、僕自身の原点がどこにあるのかを、自分で確認する意味も兼ねて書いてみることにする。
 
そもそも、何でわざわざ自分で製品を作るなどという七面倒くさいことをしようと思ったのか。特に大きな原体験は3つあったと思う。中学2年生の文化祭で、同級生たちと一緒に厳島神社の模型を作ったこと。高校3年生の文化祭で、演劇班に参加したこと。ちなみにこの時の班長が、この計画を一緒にやっている「友人」である。そして、彼女と大喧嘩したこと。
 
前の2つももちろん大事な体験だったし、色々学べた。でも、今僕がこういうことをやっている理由で一番大きいのは、実は彼女とケンカしたことなんじゃないかと思っている。
 
もともと彼女は、こういう騒々しい浮ついた活動が好きではない。家でまったり読書したり、おいしいものを食べたいという派だ。
 
そういう僕との違いは前々から自覚していて、ことあるごとに小競り合いにはなったりした。2年くらい前、僕が学生団体にいたころは、ずいぶん彼女をないがしろにしてしまった。それもあって、元々彼女はこの手の活動に懐疑的だったのだ。
 
そしてある日、この違いが爆発的に露呈したのである。
 
きっかけは、僕が学生団体の活動で合宿に行っていたことだった。合宿期間中はバタバタしていて、彼女にろくにメールもしてやれなかった。帰った日に会うことになったのだが、その日も合宿の高揚感冷めやらぬまま、何とも浮ついた感じだった。
 
そして決定的だったのは、合宿で「彼女はいない」と嘘をついてしまったこと。
 
いると言ったら根掘り葉掘り聞かれそうで面倒だったし、そもそも彼女をいると認めるのが照れ臭かったのもある。
 
それを聞いた彼女は、烈火のごとく怒りだした。それはもう本当に。まあ当たり前だ。それは、ついてはいけない種類の嘘だったのだ。
 
そして彼女は言う。学生団体みたいな浮ついたことをやる。イノベーションだ何だと、ろくに社会経験もないクセに口だけは一人前。でもあなたは、目の前にいる人を無視する。存在を否定する。そんな人に何かができるわけはないし、一緒にいたくもない。
 
僕はもう必死に考えた。大学入試のときよりよほど必死だった。どうすれば彼女に分かってもらえるか、僕がどういう動機でこんな活動をしているのか。
 
それでこういうことを言った。と思う。もちろん功利的な動機とか、「目立ちたい」みたいなミーハーな所がないわけではない。でもそれ以上に、何か今までになかったものを作るというのは、人間にとってとても本質的なことだと思う。僕はその本質的な熱に従ってみたい。
 
確かに今の世の中、不必要な新しさであふれかえっている。高度資本主義である。それが空虚なものであるというスタンスをとることもできるだろう。僕も、半面ではそう思っている。でももう半面、そうして絶えず新しいもの、今までになかったものを生み出すというのは本能的な活動でもあると思う。そういう本能を否定することは絶対できない。経済システムがどうであろうと、人間は絶えず何かを創り出してきたのである。
 
もちろん、こういう活動に伴いがちな浮ついたところや独りよがりなところ、傲慢なところ(彼女はことあるごとに「あなたは傲慢だ」と言っていた)は克服せねばならない。多大な自制心が必要である。でもそれだけでは、普通とは逆の意味で不誠実ではないか。本質的なことをやらない、不作為の罪である。自制心が過剰なのは罪だ。
 
・・・とまあ、こんなことだ。正直、正確に何と言ったかは覚えていない。だからここに書いたことには多分に脚色が含まれている。でも、そのとき言いたかったこと、言えなかったことをまとめるとこんな感じになると思う。
 
こんな動機が、根幹にはあるのだと思う。だからこの計画は、自分が間違っていないことを示すための証拠であり、同時に彼女への贖罪と、もしかすると彼女にも分かってもらえるんじゃないかという希望でもある。世のため人のためではなく、純粋に自分のための計画だ。少なくとも僕にとってはそうだ。